男闘呼組ファンクラブの会報★第29号(最終号)は、男闘呼組の軌跡を振り返りながら、メンバーの思いも掲載されています。

このページは、お借りした会報をスキャンし、テキストを起こして掲載しています。
お貸しいただいた方には、心より感謝をいたします。本当にありがとうございました。
男闘呼組後援会は、この会報をもって解散します。長いあいだの応援ありがこうございました。尚、平成六年分の会費は返金させて頂きます。今後は、それぞれ同人活動をしていきますので、応援よろしくお願いします。
ジャニーズ、ファミリークラブ

『DAYBREAK』でデビュー。まだ少年の面影を残した岡本健一、前田耕陽、成田昭次、高橋一也の4人のメンバーは一気にスターダムに。個人個人が、それぞれ強烈な個性、オリジナリティを持ち、たくさんの素晴らしい作品で感動を与えてくれた。

そして、新しい旅立ち。
これから、それぞれ独自の世界を歩んでゆく4人の、男闘呼組としての軌跡、そして未来を追いかけてみた。
Kenichi.O
男闘呼組として活躍してきた時間は、本能で動いていたという健一。その本能はいろんな人を刺激し、蜷川さんの舞台をはじめ、役者としても映画に舞台に活躍の場を広げてきた。
「いちばん印象に残っていることは、全て。とにかく全てが初めての経験だったから、ひとつひとつがいい思い出。ヒットスタジオ出演、東京ドームライブ、映画。もちろん、男闘呼組で残した作品も。全ての曲を愛し、プレイし、大きな感動をたくさん体験した、素晴らしい時間だったと思う」

男闘呼組では、真実と、正直でいることが大切だということを学んだという。それを胸に、ニューバンド『ADDICT OF THE TRIP MINDS』の活動に突入。「ステージの上でたくさんの人に会いたい」と、健一。新しいバンドで、より自分らしくプレイする彼を見れる日は、もうすぐそこに来ている。
Koyo.M
耕陽は5年間を振り返って「たくさん楽しんで、また、たくさん悩んだ。それぞれ音楽的指向は変わっていったけど、僕は、自分にないものを3人がくれたと思っている」と言う。
「3人とも真面目だったよね。自分に正直だった。高橋はいつもグループのことを考えていて、男闘呼組に対する愛情はいちばんだったよ。昭次は自分のやりたいことをいろいろ考えながらやってたな。それはグループでってことではなかったかもしれないけど、ライブもレコーディングも楽しんでいたよ。岡本はね、あいつがいちばん好きなことやってたんじゃないの(笑)。枠に捕らわれず自由にやってたな」。そして「3人のいいところは、ここが(といって胸を叩く)いいってこと。ほんとハートがいい奴らなんだよ」

さて、これから耕陽ですが...
「今真っ白な状態なんだ。でも、本当の前田耕陽が見られるのはこれからだよ」。
耕陽が何色に染まってゆくのか。いつまでも見守っていたい。
Flash Back 男闘呼組
88年『DAYBREAK』でデビュー。本人たちは「やっとレコードが出せる!」という気持ちでイッパイだった。もちろんヒットチャートNo.1になる大ヒット。続く『秋』は、巷の予想を覆す美しいバラード。

『DAYBREAK』がヒットしたからセカンドも似たようなロックだと思っていた人を、いい意味でぶっ飛ばした。「コイツら、できるな」と、誰もが思った名曲だった。
男闘呼組のドラマ・映画のリクエスト先
ロックよ静かに流れよ☆ロケ地探訪
男闘呼組カラオケ一覧
カラオケで歌いたい!男闘呼組の歌詞
男闘呼組シングルリスト
男闘呼組アルバムリスト
男闘呼組ビデオリスト
メンバー別☆制作曲リスト
ファンクラブ会報
成田さんの部屋
男闘呼組ヒストリー