1984年、成田昭次と高橋一也で「でたらめロックバンド」を結成したのが男闘呼組の始まり。このページでは、1985年を中心に彼らの活動を振り返ります。

※このページのテキスト&画像は、お借りした切り抜きから抜粋していますが、切り抜きである為、雑誌名、発売月などは分かりません
OTOKOGUMI-History 1985
成田昭次と高橋一也で「でたらめロックバンド」を結成したのが男闘呼組の始まり。※写真は84年に初めてマスコミに登場したプチセブンの紙面

成田 合宿所で高橋と出会ったんだ。話してるうちにロックのことで盛り上がってさ。オレはマイケル・シェンカーが好きだって言ったら、あいつはセックスピストルズって答えた。こいつヤルなあと思ってさあ。お互いの友だち集めて、さっそくバンドを作ったんだ。ところが、みんなヘタでさ。ただ、音を出してるだけなの。あの時から残ってんのはオレと高橋のふたり。くされ縁だよ。
1985年1月20日、少年隊の武道館コンサートのステージに立った。
※写真は85年ジュニア時代のもので、コンサート時のものではありません

成田 とにかく必死。あれは16才の終わりじゃったの。一生懸命やったわ。でも、何やったのか分からんかったの〜。
成田昭次・高橋一也・岡本健一の3人グループにジャニー喜多川氏が「東京」と命名。

高橋 オレと昭次を中心に、バンド練習に熱を入れ始める。夜の9時から朝の4時まで7時間ぶっつづけを週に何回も。岡本もこの頃から合流しはじめた。
遠藤直人と守屋二郎が加入し5人体制へ(時期は不明)。

明治製菓「アーモンドゴールド」のCFに出演。CFソングは初のオリジナル曲「誠 ほれたぜ」
※2月より前田耕陽がサポートメンバーとして加入
グループ名を正式に「男闘呼組」へと改名(6人体制)。

ナンパ野郎のような
美形硬派野郎の
荒ぶる闘志の男闘呼組
今ここに誕生。
初バラエティー番組。成田・高橋・岡本の3人がテレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に黒子として出演。エンディング・テーマ「ちょっと待って、どこまでやるの」担当。 ※4月〜7月まで

高橋『欽どこ』のレギュラーとして、エンディング・テーマ『ちょっと待って、どこまでやるの』を歌う。メンバーはオレと昭次と岡本の3人だった。必死こいてやってた。
成田 生まれて初めてTVに出たよ。番組は『欽ちゃんのどこまでやるの』。心にはバンドのことしかなかったから、ガムシャラなつもりでも、どこか冷めてたところがあったかもしれないな。
成田・高橋・岡本の3人が明治製菓のチョコスナックCM「おばけランド」に出演。
※写真はCM時のものではありません

岡本健一がTBSドラマ『サーティーン・ボーイ』に主演。ジャニーズ主演ドラマの先駆けとなる。13歳・佐倉次郎役。1985年5月〜8月まで(全13話)

岡本 オレのデビューって言えば『サーティーンボーイ』。何千人だったか忘れたけど、オーディションを受けて、1ヶ月かかって選ばれた主役だったんだ。でもさ、周りは「ラッキーなヤツ」みたいな言い方してたから、その分、頑張ったよ。素っ裸になるシーンやケンカのシーンなんかあってさ、経験しなきゃいけない演技が全部つまってるドラマだったの。ホント度胸ついたよ。
実はさ、これより4カ月ぐらい前から『明星』とか雑誌には載ってたけど、親父は、芸能界の仕事を反対してたんだ。それが、このドラマを見てから応援してくれるようになってね。同時期に『欽どこ』にも出てたから、「肉体的につらいでしょ」ってよく聞かれたけど、仕事ってつらいもんだ、って、この頃から納得してたから、寝る時間がなくても平気だったよ。
高橋一也がTBSドラマ「毎度おさわがせします」第1シリーズに出演(中山美穂の兄貴・森祐介役)1985年5月〜1986年2月まで

高橋『毎度おさわがせします』は中山美穂の兄キ役。オレのことを覚えてるヤツなんて、まずいねーだろ。主役をはらなきゃ、って、いっそう強く思った。
前田耕陽が、テレビ朝日の深夜劇場『トライアングル・ブルー』に出演。コー役(詳細な放送日不明)。1992年までスペシャルが3回放送されている。

前田 毎週火曜日、学校を休んで『トライアングルブルー』の録りに、日野から約2時間かけて恵比寿まで出てきてた。共演のとんねるずには昼飯をよくおごってもらってたよ。スゲェー優しくてさ、会うのが楽しみだった。録りが終わると合宿所に遊びに行ってた。オレひとり、男闘呼組に入るのが遅かったからさ。あとの3人に溶け込めなくて、つらかったな。昭次のことを昭次くんって呼んでたもの。
脱退した守屋を除く5人で「アーモンドゴールド」の新バージョンCMに出演。
高橋和也が『おじゃまします』にレギュラー出演(局不明)

高橋 消し忘れのチャンネルよりも視聴率が悪く、1ヶ月で打ち切りに。だけど、オレは必死だった。
※時期は不明だが、遠藤直人が脱退(後に少年忍者に加入)
成田昭次と前田耕陽が日本テレビのドラマ『妻たちの課外授業』に出演。成田昭次が和田アキ子と高田純次の息子・藤波徹男役、前田耕陽が市毛良枝と前田吟の息子・紺野守役。
1985年10月9日から1986年3月26日まで(全24話)

成田 和田アキ子さんの息子役で、初のドラマ『妻たちの課外授業』に出た。合宿所から生田まで、電車で毎日通ったよ。朝、目覚ましかけて、ひとりで起きる。冬は特につらかったね。現場に行って中止だった、なんてことも結構あってさ。文句言ったら「連絡ミスだよ」と一言。バカヤローと思いながらも、通い続けたネ。高校中退してたから仕事以外にやることなくてさ。わけも分からず本気でやってたよ。岡本、前田と順にバンドに入ってきて、徹夜練習してたのも、この頃。

前田 まだ、全日制の高校に通いながら仕事をやっててね。1本だけでも大変だったのに『妻たちの課外授業』が始まったんだ。『トライアングルブルー』の本番と『妻たちの課外授業』のリハが同じ火曜だったから、行ったり来たりで、自腹切ってタクシーに乗ってたよ。

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